【講評】『滞在制作が揉みほぐされるとき』 長谷川新|HASEGAWA Arata

『滞在制作が揉みほぐされるとき』

長谷川新|HASEGAWA Arata

これ以上ないほどの秋晴れのなか八木町を散策した。筆者は前年度にゲスト講師として参加作家と顔を合わせていたため、アーティストとの久々の再会も嬉しかった。このプログラムの特徴はプロジェクト期間の長さにあると言えるが、とはいえずっと同じ街に滞在し続けるわけではなく、またコロナ禍が猛威を振るったこともあり、アーティストたちは時間も物理的な距離も都度切断されながら「滞在制作」を行なったことになる。これを作品の評価に直結させることは慎まなければならないが、アーティストたちの実践が丸ごと、貴重な「ドキュメント」であったことに変わりはない(わかりやすい「記録物」の形をとるわけではないけれど、アーティストが試行錯誤した個々の具体的な出来事や感情の記憶は時間を経て変容しながらも固有の情報を持ちうるだろう)。

南丹エリアの多くのアーティストを惹きつけた、大堰橋と大堰川(桂川)。

深夜に青く光る大堰橋から連想し、滞在中の身体時間などを編み合わせて制作された《Long Vacation》を制作した小山渉

川と人との関係性から着想し、滞在中の「時間」を刻み込もうとした亀川果野の《trace JII》。

さて、「滞在制作」というからには、「滞在」し「制作」をしなければならない。字義通りの当たり前さは様々ありうる道を一本に狭め、足元を踏み固めてしまうことが往々にある。八木町でのアーティストたちの展開には、この硬直してしまった道をできるだけおおらかに通り抜けようとした痕跡が随所にみられた。たとえば『南譚:介在する因子』では、新作だけではなく過去作も多く展示されている。「制作」が常に「新作の制作」であることへと横滑りしていく力学から逸れてみると、過去作を新たに語り直すこと――「譚」とはつまりそういうことだ――は「制作」の範疇に俄然含まれる。過去作と新作の併置は、単なる「ビフォー/アフター」ではない。土地や人から触発された経験が過去作を新たに編み直すということがあるし、逆にいえば、アーティストは土地や人からただ情報を吸い上げているわけではない。南丹は八木町という地域で、自分自身のこれまでの仕事を捉え直し、作品と作品、アイデアとアイデアの間に別の接線を見つけることや、作品の新たなポテンシャルに気づくこともまた、制作の歓びと言えるだろう。

Cafe HIRANOでは、荒木悠の過去作《ROAD MOVIE》(2014)と《LOST HIGHWAY (SWEDED)》(2018)が、日常に溶け込むように上映された。

南丹市役所八木支所では、黒木結が2017年に制作した《LOVE IS OVER!》を2021年版として出展。

個々の作品について触れるよりもここではアーティストたちの集団的な営みをもう少し強調してみよう。「滞在制作」はアーティストが個別に新作の制作に没頭することだけを意味しない。全員が似た素材や形式、方法論を扱う面々であれば(あるいはジェンダーが偏っていれば)、素材、機材、技術の共有が「効率的に」行えたのであろうが、『南譚:介在する因子』はそれぞれの実践が全く異なる面々によって構成されている(これははっきりと意識的に行われている)。そうしたバラバラさはこの滞在制作の密度を高めているし、同時に風通しの良さも生んでいる。アーティストたちは南丹という地域に滞在し、制作をする者同士、対等に議論をしていたようだ。

南丹エリアのアーティスト達と長谷川さん。

先輩アーティストである荒木悠は、過去作や新作(それも完成していない途中段階のもの)を緩やかかつその場の特性にぴたりと馴染ませて展示しながら、同時に、地元の人が撮影した写真の展示も行なっている。こうした痕跡はちゃんと残るし、伝播するのだ。

つちや(元薬局)では荒木悠の企画により、かつての店主・八木篤さんが撮影した八木町の写真展も行われた。

ここまで、個々の作品への言及をほとんど無くしてまでも、アーティストたちが「滞在制作」を揉みほぐしてきたことについて触れてきた。「滞在制作でできることはまだまだある」という手応えは、『南譚:介在する因子』の大きな美質だと思う。いっぽうで、全く反対に、それは「滞在制作」に簡単に含めてしまっていいのだろうか、という事態も発生している。端的な単純労働について、である。もちろん、地域の方々の協力や、アーティストたちの自発的な行動など貨幣経済の立ち入る余地のない贈与の空間は滞在制作の重要な要素である。しかしそれは「滞在制作」の内部へと目に見えない単純労働を無際限に混ぜ込んで良いという話とは全く別のことだ。少なくとも、運営を担う者は、その峻別への責任を伴うだろう。

鑑賞ツアー後に行われたディスカッション。

アーティストも、地域の人々も、訪れる鑑賞者も、もちろん作品も、そしてその土地にかつて生きた人々の痕跡も、それぞれが以前とは少し変わって、それぞれの続きの時間を生きていく、そうした契機として「滞在制作」があってほしいなと筆者は強く願う。『南譚:介在する因子』は2020年から2021年にかけての時代状況下でもなお「滞在制作」を編み直そうという当事者たちの強い意志と、個別の存在に対してのリスペクトを保ち続けた、良き実践であった。もう一度書くが、「滞在制作でできることはまだまだある」のだ。個別の作品の分析は、また別の「譚」に機会を譲ることをどうか許されたい。
 
 
長谷川新|HASEGAWA Arata
インディペンデントキュレーター。1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。主な企画に「無人島にて—「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」(2014年)、「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」(2015年)、「クロニクル、クロニクル!」(2016-2017年)、「不純物と免疫」(2017-2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020-2021年)など。国立民族学博物館共同研究員。日本写真芸術専門学校講師。日本建築学会書評委員。PARADISE AIRゲストキュレーター。スタジオ四半世紀。